初代町屋のにんにく物語



 (有)天間林流通加工(てんまばやし)、初代代表取締役(町屋栄之介)が平成17年(2005年)に青森県で先駆けて熟成にんにくの製造をスタートしました。

それまでなじみがなく、真っ黒で得体のしれない見た目と独特の風味で、はじめはなかなか世間に受け入れてもらえませんでした。

しかし、同年弘前大学医学部保健学科の佐々木甚一教授に研究を依頼し、マウスへの熟成にんにくエキス注射による実験で移植したがんが消滅、縮小することが証明され、掲載された各社の新聞記事から一気に広がっていきました。

さて、今では全国的に黒にんにくも認知され広がりを見せていますが、初代町屋が得体のしれない黒い物体を販売しようと思い至ったのか私は不思議に思いました。
しかし、町屋のこれまでの仕事を振り返った時、それは必然にも思えてきます。

ここからは、当時の新聞記事や、町屋の手記も交えて話を進めたいと思います。


  




 

 にんにくとの出会い
さかのぼること1980年(昭和55年)、国の減反政策と米が一粒も実らない大冷害により大打撃を受ける中、町屋は天間林村農協のストアから本所に異動になり生産販売課長の任につきました。

それまでの米に頼る農業や、天間林村に名産がないことに危機感をいだき、特産として何を栽培すればいいか、たくさんの人から意見を聞いて考えなければならないと思いました。

一年間話を聞いていく中で、農家のN氏の意見がもっともピンときました。それは「農産物でもこれからは国際的にも通用するものでなければならない。にんにくはそれに勝っていけるだろう」というものでした。

同じ意見の農家のT氏の助言もあり、その思いを強くし、昭和56年ににんにくを村の特産指定にしました。それに伴って、3づくり運動に段階的に取り組むことになりました。天間林村のにんにく生産は、先見の明ある農家さんから始まりました。


1.組織づくり
それまで、野菜ごとに分散していた部会を畑作振興協議会に集約し、指導員の作業の効率化と予算の集中を図り、重要品目特に、にんにくに力を入れました。

2.土づくり
 それまで、各農家でやっていた堆肥の確保を、農協が一括で畜産農家から堆肥を仕入れ農家へ安定供給する有機物利用促進協議会を設立し、後年堆肥センターの建設につながり有機栽培を目指しました。

3.産地づくり
 産地と名がつくには品質はもとより安定量は絶対条件で200haを目標にしました。転作助成金と堆肥の安定供給もあり6年かけて目標を達成しました。


町屋はそれまで、農業をやったことがなかったため、農家に指導することはもってのほかだと考え、実家の畑に米の他、あらゆる野菜を栽培しました。しかも、無肥料、無農薬でも取り組み、失敗の山を積み上げながら野菜の生態の理解を深めていきました。
余談ですが、無肥料、無農薬での米の栽培に成功し、後にそれがご縁で奇跡のリンゴ、自然栽培の木村秋則さんと交流させて頂くようになりました。


  



 通年出荷をめざして
 このころ青森県産のにんにくは貯蔵方法が確立されておらず、芽止め剤(エルノー)を使用しても7月から3月頃までの販売にとどまり、春から夏にかけては他県産の独壇場となる悔しい思いを味わっていました。

そこで通年での販売の為、大阪の会社が持っていた窒素貯蔵の技術指導を得ての全国初のにんにく専門貯蔵庫(ガス冷)を国に提案しました。しかし、前例のない施設に、農協内・村・県・国への長く険しい交渉が始まりました。

「天間林に貯蔵冷蔵庫が絶対必要だ」という町屋と農協関係者と役場の職員の情熱の一念が通じてようやく許可がおり、補助事業により全国初のにんにく専門CA貯蔵庫(ガス冷)が建設されました。

この冷蔵施設により、安定した供給ができ通年販売が可能になったことで、産地の位置づけが出来ました。


□ マイルドにんにく誕生
 1993年に中国産のにんにくが日本に大量に輸入され、安価な中国産によって、単価はこれまでの半額以下になり、2年続いたこの状況に農家は生産現場から離れていきました。
 市場価格の不安定に苦しむ農家さんの声を受け、「単価の安定が至上命題。買い手の信頼を得て、農家の人が価格を気にせず作付出来る環境をつくりたい。」と意気込みました。

 そんな時に、健康食品会社を名乗る人と出会います。県内のほかの町では取り合ってもらえなかったこの方は、最後に天間林農協にたどり着きました。異様な感じを受けながらも、話を聞いてみることにしました。

 聞いていくと、今の科学では説明のつかないことばかり。他では話を聞いてもらえなかったのも頷ける内容でした。でも、町屋は非常に興味深く聞いていたと言います。

町屋「家族はにんにくの食べた後のにおいが嫌だと逃げ回るんです。」
健康食品会社「塩のあく抜きをご存知ですか。それににんにくを入れると食後のにおいが残らないんです。」

 あく抜きの機械で施すのは一瞬の真空処理でした。その処理済みのにんにくを食べてみると、風味は普通のものと変わらなく、味はかえってまろやか。後は食後のにおいがどうかが問題・・・。

町屋は農協の片隅でこのにんにくを毎日食べ、その後帰宅するという実験を繰り返しました。結果、家族は誰もにおいに気が付きませんでした。いつも逃げ回る高2の娘ですら、全く気が付かなかったのです。

 農協では、非科学的なことを真に受けるおかしなやつと変人扱いをされましたが、本人は日に日に自信が膨らんでいったといいます。

 その他にも実験を重ね、非科学的なことに慎重な農協の上司や、村の村長をも説得し、ついに天間林村農協から「マイルド229(にんにく)」を発売します。健康食品会社との出会いから2年経った、平成4年2月29日のデビューでした。



 「食べるときの風味や栄養価はそのまま、食後のにおいがマイルドなにんにくです。」
 「食べて頂ければ違いがわかりますから、まず使ってみてください。」


 デビューから3年後の平成7年、粘り強くセールス活動を続け、首都圏に展開する大手スーパーに置かせてもらえることになりました。マイルド229は、日を追うごとに棚に一緒に並べてある他のにんにくと、売り上げに差が付き始めて売れるようになりました。

町屋はのちに「お客さんが違いに気づいてくれた。食後の嫌なにおいがないという付加価値を評価してくれたことが、嬉しくありがたかった。」と述べて、大変感謝しておりました。

 ここからマイルドにんにくは日の目を見て、首都圏の主だったスーパーの棚に並べて頂くことになり、生協など生産条件の厳しいコープとの取引も始めていくことが出来ました。




当時の新聞記事


□ 『にんにく物語』絵本の誕生
       


 「マイルド229」の誕生日であることから平成8年2月29日に開催された「にんにくフェスティバル」に、町屋が書いた童話「にんにく物語」に地元の小・中学生が挿絵(476作品)を書いて発表しました。

 物語は、主人公のにんにく夫婦が「臭い」と嫌われながらも、病気の動物たちに自分のしぼり汁を飲ませ、元気にしていくというストーリーです。

町屋は「産地とはいえ、にんにくを食べない家庭が多いと感じ、童話から効能など知って、子供のころからにんにくに親しみを持ってもらいたいという気持ちで書きました。」と述べています。物語は絵本になり保育園など施設に配られました。




  熟成にんにくとの出会い
 H13年、4月に農協が「とうほく天間グリーンジアース株式会社」を設立。町屋は常務として勤務しておりました。

 ある日、三重県の業者さんから青森県産のにんにくをほしいと電話が入りました。中国産のにんにくを熟成発酵(※)しているとの事でした。聞いたことも見たこともない「熟成発酵したにんにく」のサンプルを送ってもらい、その得体のしれないまっ黒いにんにくをみんなで食べました。

「こんなの売れるわけがない」「にんにくとは思えない」「腐っている」という人がいたり、それ以上手を付けない人もいました。しかし、それを食べた町屋は「これまでのにんにくの常識を覆す商品になる」と直感しました。体に良いにんにくをもっと手軽に食べたられたら、という願いにぴったりの商品でした。

その後、三重県へ出向きマイルドにんにくと海洋深層水を使って熟成することを提案、商品化にこぎつけました。三重県の業者さんに製造を委託し、販売をスタートしました。
(※後に、熟成にんにくは菌がまったくない状態での加工だということが分かり「発酵」という言葉は現在弊社では使用しておりません。)

         


□ その後、「とうほく天間グリーンジアース」を退職
市町村合併で無くなってしまう「天間林村(てんまばやしむら)」の地名を会社名に入れ、有限会社天間林流通加工をH16,8月に設立しました。

企業理念は「生命力あふれる食品を供給し、消費者の健康維持に役立ち、尚生産者の生活向上に貢献致したい。」

会社設立から、2年後のH18年には三重県の業者さんの指導のもと、青森県内初のにんにくを熟成する施設を作り、青森県で製造した熟成にんにくの販売をスタートさせました。



 熟成にんにくの研究依頼とその後
熟成にんにくを町屋は毎日食べており、すこぶる調子がいいので弘前大学の佐々木教授に研究を依頼することにしました。
結果は驚くべきもので、当時の新聞3社にも大きく取り上げられました。



   



熟成前の白いにんにくより強い抗がん作用があることがわかり、手軽に食べられるだけではない熟成にんにくの長所がわかりました。

この新聞記事を見たお客様からはお問い合わせの電話が多数入り、病気に苦しんでいる方の多さにまた驚かされました。

お客様からの元気くんを食べ続けてみて、実感された内容は多岐にわたるものでした。

リピート購入の際にご報告下さいます内容は、色々な病気の症状からの回復や完治、そして「体の調子が整ってくる実感」という内容でした。

「整ってくる」と書きましたのは、同じ病気でも数値の高い人は平均まで下がり、数値の低い人は平均値まで上がるという、全く正反対の効果で、どちらも改善されたとの報告が数種の症状にそれぞれ数件あったからです。

元気くんは一概に、「この症状の人におすすめ」や、「この持病をお持ちの方はお召し上がりにならないでください」とは言えない商品なのだと感じました。
 そして、どの成分が何に効くのかという研究も大事だけれど、食べたお客様の実感に勝るものはない、と町屋は感じたそうです。


前例のないもの、得体のしれないもの、困難を伴いそうなものにでも、町屋は進んで取り組んできました。「マイルドにんにく」も「元気くん」も出会ったときは、得体のしれない・よくわからないといって敬遠されがちなものでした。特産品をにんにくにし、全国初となる貯蔵庫設立するなど、「前例のないから」と跳ね返されるものにも粘り強く説得しました。

その動機には、天間林村を何とかしないといけない、という切羽詰まった感情があったように思います。また幼少期の通知表にも「なぞが好き」と書かれるほどの性格が、幸い結果につながったと思われます。

得体が知れないからこそ、じっくり話を聞き、実際試したり観察したりして、「良いものかどうか」を自分に問い、良いとなるとすごい勢いで人に勧める。周りがどうこう言っても全く意に介さず、「本物はいずれわかる」と人を信じているような人でした。


町屋の意志を受け継ぎ、有限会社天間林流通加工は今日も営業しています。



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